2018/04/27

1963年生まれ30歳マンションを買う


離婚したあと、色々と細かいものを含めて名義変更やら 面倒だったんですが、僕は他人の家で居候として過ごしてました。
社長の家なんですけど、寝るのは 社長の息子 中学生の離れの部屋で寝させてもらってました。できる限り 出張仕事に行って仕事先の宿に泊まるほうが気を使わなくてよかったんですけど、中学生の子はとてもなついてて 嫌な顔しないんですけどやはり 友達とか呼んだりできないじゃないかなぁとか思ってました。できる限り遊んであげてました。
遊ばれてたかもしれないんですけど。

しかし、仕事は事務所の仕事のほうが圧倒的に多く いつまでもそこに居るわけにはいかないなと思い始めて 自分の住むところを探します。田舎なのでアパートとかは滅多にないし、市営住宅などはたくさんありますが 単身の入居はむずかしくなかなか 見つかりません。家賃を結構払えば あるにはあったんですが 金額的に中古マンションを買ったほうが毎月の出費が少なくなるということを 不動産屋に言われます。
ちょうど、社長の家の近くに中古マンションがあって 広さもひとりでは充分すぎるところを紹介されました。一刻も早く 社長の家から出なければと思ってたので 気持ちもあせってたこともあり 社長の奥さんのすすめもあり 購入する事にしました。大きな買い物です。でも、僕の闇世界への入口だったことに気付きません。
事務所の仕事が多いので、出張がほとんどないというのが前提でしたけど。
パンを売る車を持ってたんですが、社長の弟弟子(会社では専務)さんから、いらないからやる とか言われて、軽自動車をもらいます。パンを売ってた車は車検も切れかかりの次期だったのだと、エアコンがついてないし もう必要なかったから廃車しました。
通勤に使う車でしたけど、出張がふえれば車は なんでもよくなってきます。
間取りはこんな感じだったと思います。4階建てなのでエレベーターはなく自分の部屋の階までひとりで何往復もして荷物を運びました。たいしてないんですけどね。
それから、軽自動車をもらって足がわりにしてました。
購入してから しばらくはひとりで暮らしていましたが、部屋が余ってます。同じ会社のM君が、大学生の時に入居してた学生用のアパートを出たいと行ってたので、冗談交じりでうちの部屋貸してやろうか?? って話したんです。
そしたら、本気でその話に乗っかってきました。もともと 出張とかで数週間同じ宿の部屋で過ごしてた事もあるので どんな人柄とかお互い知ってましたから抵抗なく 今でいうルームシェアということになったんです。出費も半減しますしね。ふたり同時に僕のマンションで一緒に居たという日は、ほんの数日だけでしたけど そんなときは一緒に夕食を作って食べたり ゲームしたりしてました。
でも、段々と出張の仕事が多くなってきて 事務所勤務前提とか言われてたけどふたり共一緒に現場に行かされるか、片方どちらかがいくようになって来ます。
なので、どちらかひとりがマンションにいるって事もありました。

数日、M君が出張に行ってる時、夜中に電話がかかる様になりました。M君と僕は別々の固定電話を引いてましたから 僕のほうにです。
元嫁からです。最初のうちは 話も聞いていましたが 内容がどうも 腰が悪くて仕事に行ってても辛いみたいな事だったと思います。娘の養育費はちゃんと払ってました。
元嫁が深夜に電話をかけてくる様になり 心が揺らいだかもしれません。
でも、もう元には戻らないと振り切ります。
でも、「あぁ こいつ寂しいんだ」って思わされる事を言い出してきたので 娘に会える時は連れてきてもらってたけど 顔を合わさないようにしてましたし もう電話をしてこないで欲しいと伝えました。忘れかけていたんですが「出て行って欲しいんですけど…」あの言葉が蘇ります。それから 真夜中に電話がなることはなくなりました。

2018/04/26

1963年生まれ30歳別れ


離婚を決意した瞬間、娘の事だけ考えました。
しかし、育てるには 女の子でまだ 小学生です。そして 仕事が出張ばかりだったのでいつもひとりになる。
自分の親に頼るわけにもいかない。社長にも色々相談して 子供がパパと暮らすといえば…その時のことも決めてました。

女の子というのが 僕のほうにきたら あまりにもかわいそうだとも 思いました。洋服をかわいくしてあげれないし髪を結んだりもしてあげれない。まして、なにか行事があったりしてもうまくやってあげれない。そして第二成長期にはいったら女の子なので対処できそうにない。
そんな事もよぎりました。
ここは 養育費を払って 母親と一緒に居るのが娘にとっては いいとは思いはじめました。
しかし、娘は小学3年生で パパを思い 「パパと一緒に行きたいけど、おかあさんがかわいそうだからおかあさんと居る」そう言ってくれました。
たぶん、精一杯、気を使って言ってくれたのだと思います。娘には謝るしか出来ませんでした。 

荷物を取りに行ったとき、必要なものは洋服や着替えくらいだったんですけど 他のものは子供も使うので、全部置いていくといいましたが、大事にしてたステレオなんかは邪魔になるという事なので もたされます。
以前は 古い洋服ダンスだったのですが いつのまにか大きなクローゼット風のタンスに買い換えてあって 開けてみるとハンガーの9割がたは 嫁のもので1割程度に子供と自分の服が掛かってました。
ある程度、荷物をまとめて箱に入れられてましたので積込は早かったです。
娘が自分が使ってた14インチのテレビをパパにあげると。
いよいよ、荷物も積込がおわり 娘がおかあさんの見えないところで涙をいっぱいにして飛びついてきました。
この絵描きおわって、どれだけかわいそうな事をしたのか想いがよぎって
涙が出ました。
抱きしめて、かける言葉もゴメンとしか言えなかったけど もう涙が止まらなかったです。
離婚する事は 僕はなにも話してないけど 母親がいいように言って聞かせたんだと思います。
どんなふうにおとうさんのことを話したのかはわかりませんが、自分が不利になることは言ってないでしょう。

そこに嫁の姉が現れて、18になるまで養育費はちゃんと送ってやってと言いに来ましたけど、娘との別れがあまりにも大きな出来事でした。
この姉も、うちの団地の上の階に住んでて曲者でしたし 嫁もよく愚痴ってましたがやはり、姉妹なのでこういうときはタッグを組むでしょう。
旦那さんやおとうさんが亡くなったとき、その他諸々 やってもらったことは忘れたのかって言いたかったくらいです。

家を出て、社長の家で荷物の整理をしていると嫁が詰めた段ボールの箱をあけてみると あれだけあった写真の一部 僕だけが写ってる写真と娘と写ってる写真 そして切り離された僕の写真がはいってました。 
 当時、考えてた事を思い出すと、養育費は毎月子供のために送るが あの女が自分のために使う事は許せない→でも仕方ない。
娘がもし、パパに着いてきたら育てるのはどうしようか→なんとかがんばるしかない
ひとりになったからといって、奥さんがいないとダメねなんて他人に言われたくない。
(片付けや身なりや 若さなど)
僕が ひとりで暮らしてたアパートに突然 来て急に結婚する事になり10年ほど だいたいすべての事を言いなりなって過ごしてきて、最後はどこにも行くとこがないのをわかってて言った「出て行って欲しい」の言葉。
別れた事を後悔させてやりたい。そんなことを考えてました。
娘には 大変申し訳ない事になったと 反省しましたが あとには戻れません。

その二日後、僕は山陽地方の出張で仕事に行ってました。社長の家に寝泊まりするのもできるだけ少なくしたかったので希望して出張に行かせてもらったわけです。
当時、ポケベルを持ってましたのでポケベルに 家だったところから連絡がありました。
実はこれは2代目のポケベルでその前は数字だけのポケベル持ってましたけど、
県外に行くと使えなかったのでNEXTとかいう最新のものに変えたばかりでした。
娘からだと思ってすぐに 電話をかけたら あの女の友達(あったことある人)が出て、「考え直して戻ってきてあげて」と言われます。その友達は頼まれてポケベルを鳴らしたようでしたが、もう僕の心は代わりません。
出張から帰ると、うちの実家や社長にも相談に来てたらしいけど もう誰も離婚を止める人は居なかったです。居たとしたら事情をしらない人でしょう。

その後、娘にはどうしても会いたくて 電話で会話した事と 娘の誕生日にカラオケに一緒に行った事が1回だけあります。
一方的に僕のほうからみた事しかわからないし はっきり理由も聞いてないから僕におおいに非があるのかもしれません。ただ 振り返ってみると 望み通りにやってきたし、まぁ不満と推測される事は回数は無理でしたが 
あの時 無理に戻ってたとしてもいつかは この結果になっただろうと推測されます。
パパとおかあさん ふたりが円満にしてないと娘も小さいながらに察知し 結局は悲しい思いをさせたとなると胸が痛いけど 
僕は娘に申し訳ない気持ちと一緒にこの先もずっと時が止まったまま 娘に恋い焦がれていくでしょう。

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