2018/02/27

1963年生まれの4歳と7か月の日


この前日に、父との最後の思い出があります。
父は37か38歳でしょう。当時、バスの運転手として働いていたようです。
この日は、おそらく休みだったのだと思いますが 母は仕事に行ってました。
昼間、父は僕を連れて町に行きました。実際には父が用事を済ませてる間、僕はひとりで遊んでましたが、夕方帰る直前に「いちごのパック」を買ってくれました。
姉兄がいましたから たぶん1パックじゃなかったと思います。上のふたりは中学生でしたけど、帰ったらきっと 姉に強奪される事はわかってましたから あとで話しますけどその行動の記憶があります。

町からの帰りに、父は母を仕事場に迎えにいって3人で家にかえりました。
車はマツダの軽トラックで、調べたところ ポータートラックかなと思いましたが、年代からしてB360かもしれません。ボンネット型の2人乗りの軽トラックです。
こんな感じの軽トラック 排気量は360ccと思います。

写真もなにもないので、記憶だけですが 形は覚えています。あと父はバイクも持っていたみたいです。
先程のいちごですが、母に 姉に取られるからと車の中で預けた記憶もあります。

家には、お風呂はそもそもないので 祖父の家にいつも行ってたようですが バイクの前に僕が乗り、うしろに姉と兄を乗せてなんと4人乗りでちょっと離れた祖父の家まで行ってたようです。今ならどうなるんでしょう。

その夜、父と同じ布団に寝てましたが 夜中だと思いますが起こされます。
なんか慌ただしい感じが、幼いながらにわかりました。兄に母が「じいちゃん、呼んできなさい」といった事も覚えてます。兄はあの真っ暗の道を歩いてじいちゃんを呼びにいったんでしょう。彼は中学1年になったばかりだと思います。
山の中の田舎ですから、外灯もなく草の茂みにひらくち(マムシの事をこう呼んでました)が潜んでいるかもしれません。

あとは医者が来てて、家族が泣いてるそんな記憶だけ。父は心不全でいきなりいなくなったんです。
何が起きたのか全くわかってなかったと思います。

のちに、小さいときにおとうさんを亡くしてかわいそうとか言われるようになるのですが、ある意味、ほとんど記憶がない僕はよかったかもしれません。中学生の姉や兄はものすごく辛かったと思います。またそれ以上に母親はまだ35歳くらいなのに子供3人をかかえてたいへんだったでしょう。自分がそのような年になったときに つくづく思いました。

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