2018/06/25

体組成計を買い直した。

最近、なんか作業ズボンを履くと キツくなってきたなと感じてましたが やはり体重も増えてました。昨年 MAX95kgだった体重を86kgまで下げたんですけど しばらくはキープ出来てたのが 徐々に増えて90kgを前後しています。

測定出来ない事はないですが足のサイズがでかい人ははみ出ます。
しかし メーカーのほうではゆったり乗れる25cmと書いてある。
パナソニック体組成バランス計 EW-FA43
家ではパナソニックの「体組成バランス計」というものを使って 体重や体脂肪率、BMI等 スマホのアプリに転送して記録してました。
難点は、以前はスマホがXperiaだったのでよかったのですが iPhoneにはそのアプリがないので手入力しないといけない事と 体重計ののっかる時にその面が小さかった事です。

表示はカラーで見やすくていいのですがスマホにデータを転送するのも体重が落ちてから面倒になったのでやめてました。
なので 足の小さい人にこれは譲る事にして
iPhoneにも対応した乗る面が少しおおきな物を購入する事にしました。

すぐに思いつくのは タニタとオムロンですがタニタから選ぶ事になりました。海外製のものもあったのですが それにしても対応してる製品はそれほど多くはないようです。

週末、大型の家電店に行きましたが1軒目は スマホ連携できる製品の展示品さえもなし2軒目はオムロンの旧型だけありました。3軒目は展示はされてなかったのですが最新機種ではないけどタニタのデュアルタイプ体組成計インナースキャンRD-902の黒が残ってましたのでそれを購入しました。
今回購入した型落ちなのでちょっと安い
タニタのデュアルタイプ体組成計インナースキャンRD-902

型番の最新は906とか907だからずいぶん前のモデルだと思います。見た目はそう変わりはないです。
買ってきて 開封したら単4電池が4個付属してますのでそれを入れ iPhoneに専用アプリをインストールしたら 画面の説明にそってiPhoneと体重計のペアリングや身長、生年月日などを入力したらあとは 測定するだけです。
体重計に乗ったときに 家族が数人いれば 誰だかわからないのですが「乗るピタ」という機能で4人まで登録出来るようです。
ちなみに RD-902の本体でみれるものは

  • 体重
  • BMI
  • 体脂肪率
  • 筋肉量
  • 筋質点数
  • 推定骨量
  • 内臓脂肪レベル
の 7項目で アプリ上では
  • 基礎代謝量
  • 体内年齢
  • 体水分率
の3項目ですが どの数値がいいのか 説明書をみないとなんのこっちゃわかりません。


2018/06/08

1963年生まれ生まれ故郷に戻るちょうど45才。


2009年の正月 ホテルの仕事が正月の間 忙しいので長年お世話になったこともあり そこまで働き 生まれ育った福岡に戻ります。

1Kのアパートでは 荷造りもおわり ベッドはもらってくれる人がいたので あげました。あと大型のゴミは 以前勤めてたリサイクルプラの工場が取り扱ってるので 中のよかった人に連絡して引取に来てもらいました。残りは引越屋さんにたのんで 格安に九州まで運んで 自分は軽自動車があるのでちょっとした荷物とのんびり九州まで運転して帰りました。時間は5時間ほどでついたと思います。

高速道路にはいる手前に 働いてたホテルがあるので ちょっと寄って挨拶をしていくことにしましたが、時間帯が悪かったのか ひとりしか会えませんでしたが 最後のお別れです。そのひとは 見送ってくれました。
山口JCTは周囲は山ばかりで静かなところです。
遠くの緑をみると目にいいといいますが 景色に飽きてきます。
九州に帰るには高速道路は 中国道と山陽道どちらでもよかったのですが(途中合流しますけど)車の少ない中国道を利用して関門橋をわたり 九州にはいりました。
そこからがまた距離があって長いのですが だんだん見覚えのある風景が近づいてきたけど 何年間も離れてたので 建物やあったものがなくなっていたり 新しいものが出来てたり 一瞬道を間違えそうになりました。卒業した高校も統合され名前が変わっていたり、町が合併して名前が変わってたり戸惑う事もありました。
そして、方言がよみがえってきます。
「おかえり~ くたびれたやろ。」そんな感じで姉や母が出迎えてくれました。
引越屋さんに頼んでた荷物はすでに 届いていたのですが さしあたって急いで開封するのは着替えくらいだったので 他のものはそのままにしてました。
数ヶ月後、足りない荷物があるのに気がついたけど その荷物はあってもなくてもよかったものなので 諦めました。
建設業の会社なので数日、現場の状況をしるために作業員として
一週間ほど行ってました。言われたことだけをやってればいいので気が楽です。
しかし、ちょうど冬場だったのでかなり寒かったです。
姉の務めてる建設関係の会社で働くことになりました。

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2018/06/05

1963年生まれ派遣会社にはいり自分の老朽化を自覚する。


意地を張って辞めたから 働くところがなくなってしまいました。週に1回 ホテルのバイトがあるだけで 他の日は 暇です。新しい会社の面接といっても 工場関係はほぼ 派遣社員のみで えり好みしてる場合じゃないと悟り 派遣会社にはいりました。
当時は 派遣会社がブームみたいでした。

その間、面接やら 連絡待ちの日もあって 暇なのでパチンコに明け暮れます。
パチンコで生活できるんじゃないかと 錯覚にも陥りましたが 負け出すと早いです。

そして 派遣会社から紹介された工場は また車の部品を作るゴムの工場です。前の会社のおそらく下請け会社なのかもしれませんが 作業は似たりよったりでした。
派遣社員は なんか肩身が狭く 昼食も社員食堂を使ってもいいとは言われましたが 他の派遣社員はひとりとして 使ってる人も居なかったので 僕もみんなと同じように 車の中とかで食事をしてました。

でも、利点としては 時間にピッタリで休憩時間や終わりの時間には作業途中でもあってもピッタリやめさせられます。残業手当など賃金が発生するからだと思うんですけど ここは徹底していました。
派遣会社にはいると 社会保険もありましたし 時間もピッタリで しかも 賃金は働いた分の半分を毎週 口座に振り込んでくれ 残りは月に一度まとめて支給されるという形だったので便利だったのですが 何ヶ月か働いているうちに とうとう 身体が不調になり 胸が痛くて手があがらない様な状態になりました。
胸が痛くて腕をあげれないようになりました。
このときは ほんとに不安になってました。
原因はわかりませんが こんなことで休んで派遣先の会社に迷惑をかけれません。しばらく我慢して働いていましたけど 自分で限界だと感じ長期休暇を取る事にしました。派遣先は 治ったら復帰してくださいとは言われてましたけど 派遣会社はいらないとなるでしょう。社会保険とかの関係もありますから。

そして 現実的に身体の老朽化を認識しだしました。派遣の仕事をしてる時に10才ほど若い人がいたのですが 一緒に仕事をやってて体力的にかなわないというように 自覚しはじめました。いくら見た目を若くしても老朽化はとまりません。
自分の身体で 一番不便に感じるのは 老眼で もともと1.5とか2.0とか視力検査の結果で子供の時から よくみえる人だったのですが 細かい文字や黒以外の赤い文字や青い文字が見えづらくなりました。くっきり見えないという感じです。このころはまだ なんとなく見えにくいって感じでした。
体力が落ちたのは明らかで 外面的にはこんな状況です。
他人からみると太ってる様には見えないらしいですが終わってます。
次に髪の毛。太くて多かった髪の毛も細くなり 突然ではないですが額もひろく頭頂部の薄毛の進行が早くなります。しかも 白髪が急に多くなります。たぶん 自分は真っ白になるかなくなってしまうか両方要素を持ち合わせてます。他には健康診断で異常値が出るというようなことは全くなかったのですが コレステロールや中性脂肪の異常値が容赦なく出てくるようになりました。幸い再検査の診断は出たことないですが これから先はわかりません。あとは肌やしわ、筋肉の衰え、男の力など一般的に例外なく老朽化の症状があります。それと 忘れる事も多くなります。不思議なことに小中学の頃の同級生の名前は ほぼフルネームで覚えてるの(生きてきたうちほんの数年過ごしただけなのに)に 年令を重ねる毎に 間近に会った人の名前が覚えきれません。ただ、大きな病気もせずに五体満足に産んでくれた両親には感謝しますと思うようになったのもこの頃で、一晩 ぐっすり寝ても HPは全回復しないそんなふうに思うようになりました。

ちょうど その頃 九州の姉から連絡があり 姉の働いてる会社がパソコンを使える人を探しているとか 九州に帰ってくることを言い聞かされます。ホテルの社長もずっときてくれるなら 僕が働けるように他の人を断って使ってくれるとまで言ってくれましたが 断られる人に気の毒いし 九州の生まれ育った土地に帰る決心がつきました。45才になってます。18でこの地を出て27年間 他の土地で過ごしたことになります。

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2018/06/04

1963年生まれケツを割って帰る。

リサイクルプラの再生工場を辞めなかった者は1年間 遠く離れた工場で 応援という形でそのまま務める事ができるようになったらしいが 僕はそれは ホテルのバイトの勤務に支障をきたすので はなから辞めるつもりでした。

そして 数人で面接にいった自動車の部品をつくる会社に行ったのですが、ここは 十数年務めてるパートのおばちゃんとか 社員がいますから上下関係は当然ありますので 前みたいな気持ちで働く事はできませんし、自分の意見も通りません。
仕事内容は単純といえば単純なんですけど スピードが求められます。
最初のうちは 慣れないので数をこなすことが出来ませんでしたが段々と慣れてくると数がどんどん増えます。
作業自体は難しくはないが スピードを要求される。
あと 手が腱鞘炎になりやすい。
性格とかによると 思うんですが 僕みたいに 人に負けたくないという気持ちでやってると たしかに仕事は慣れて数が増えてくるんですけど まわりの社員をみてると 数を制限してるように見えてきました。たしかに作業の遅い人もいましたが そうでない人はやり過ぎると仕事が増えるのである程度調整してるようです。
最初は、必死でやってましたけど ひと月もするとまぁ 普通にできる様になり もともと動作の遅い社員が 時間内にできそうにない時は 手伝いをしてました。
これは 仇となってかえってきます。

工場が2箇所あって 本工場と副工場では 本工場にいれば 日勤のみで単純に数をこなしていけばよかったのですが 副工場では2交替勤務になり 作業がちょっと複雑になります。当然 数もこなさなければならないのですが ここも慣れればやっていけそうです。
ある日、辞令が出て 副工場に行くようになりました。リサイクルプラの工場からきた仲間ひとりも一緒に行くことになったので 心強いですが ここの夜勤の責任者というかたぶん役職がついてたと思うんですけど この責任者に問題があります。
まずは、仕事に行った時に 「おはようございます」とか あいさつしても 下向き加減で返事もしない。それは 全ての作業員に対してそうです。
責任者には不適合と思った。
みんな自由勝手になってたのは この人のせいだとすぐにわかる。
そして 作業がはじまる前に どこの作業をするとか指示があるはずなんですけど 一冊のノートに書いてあって 各自そのノートを見て作業にとりかかるようになってました。
そのノートは その責任者が書いてるものです。

作業中は、工場の隅っこのほうでその責任者が ひとりもしくは 女の子ひとりと作業をしてて 他の作業に目を配る事は全くしません。
途中 休憩時間があるのですが 10分の休憩時間のはずが 夜勤の時は 30分以上 ひどいときは1時間くらい作業をしません。新人だけが 時間をまもってやってました。
それにたいして 責任者は 隅っこのほうにいて休憩所にはもどってきませんから 注意もしないし 知っててもなにも言わないという人でした。

年令的には 僕より年下なので30代だと思うんですけど この会社にはいって長いので責任者になってるのだと聞きました。噂ではこの人うつ病と聞きましたけど。

ある日、僕はその人に怒りが爆発してしまいます。ノートを見てその日の仕事をちゃんとしてたんですけど 責任者が間違ってたらしく めずらしく作業中に近寄ってきて初めて口頭で指示を受けました。作業がはじまる前に口頭でみんなに指示すれば防げた事なんです。 すでにノートに書かれてた作業は進めていたのに やり直してくれと言ってきたから 口論になりました。はじめる前に みんなの前に顔を出してなんで説明しないのかとか そんな感じだったと思います。改めないようなら 自分は今日はもう作業をやめて帰るし このような作業場では働けないといって 途中から帰りました。
仕事を途中から投げ出して帰った」とかいうのは 今迄やったことなかった初めての事でした。「ケツを割って帰る」という事です。

翌日、本工場の工場長などに呼び出されて事情を聞かれました。
すべて 夜勤の状況を包み隠さず 話しましたし 責任者の事も話しました。工場長はその事実を全く知らなかったようで 課長や係長などを集めて会議をしたようです。
僕は、長年働いてきたその責任者やそのまわりでサボって働いていた人達からの恨みをかったようなものですが ダメなものはダメだとしないと 真面目に働いているものがかわいそうだし 長年働いてるだけで責任者にして 決めた工場長に問いかけました。

工場長は 彼の事をかばう事もしませんでした。そのあと数日間 僕は日勤の仕事を与えられやってましたけど 工場長には 僕ひとりのために夜勤の作業者の輪を壊すと仕事にも差し支えるので 僕はここで働くのはムリだから数日後には辞めると言っておきました。

その数日のあいだに 工場長をふくめ係長クラスの人が夜勤の実態とその責任者の事を 調べていたようで 僕の言ったことが本当の事だとわかったときに 工場長が頭をさげて謝りに来たんですが 辞める気持ちは変わりせん。最初に日勤の時に働いてた時 仕事を教えてくれた人が 毎日とっかえひっかえ 休憩時間に僕のところにきて なんの用だろうと思ってたんですが 本工場にもどって一緒に働こうと言ってきます。 
なんで あなたが言ってくるんですか?みたいな ほとんど会話もしたことない社員が帰りに駐車場で待ってて言ってくる事もありました。駐車場は 本工場と副工場は別の離れた位置にあるので 待ち伏せてたのは間違いないと思います。
工場長の指示かとも 思いましたが もう気持ちが離れたから僕には受入は無理でした。

2018/06/01

1963年生まれ夜型生活を抜けるために行動を起こす


ホテルで働いていた頃 それとなく社長には話しておいた事がある。このままずっとこの仕事をやれないと思うと。
ホテルの社長夫妻は とてもよくしてくれたし なんの不満もなかったが 夜勤ばかりの日光に当たることもほぼない生活から抜け出したかった。
気がつけばもう40代半ばになる。

ちょうど、自分より少し年下の男性がホテルの夜勤のみの仕事を希望という事ではいってきた。仕事を引き継がせるにはちょうどいい。ひと月ほど一緒に仕事をして覚えてもらい僕はその人が休みの日だけ 夜勤をするようになり昼前から夕方までとか 夕方から深夜までの交替要員に変わった。どの時間帯でも仕事が出来るようになり どこに何があるとかすべてを把握しかなり詳しくなった。

そんなある日、昼の掃除のスタッフ(おばちゃん)が 求人広告をもって見せてくれた。
通勤も可能な場所で面接に行ってみることにした。
採用された。仕事内容は 工場を新設して新しい事業をはじめるという会社で 責任者がひとりで 残りはすべて新規採用の社員でやるというリサイクルプラスチックの工場だ。
何日間か、研修を経て工場が稼働する。
求人広告には その工場の責任者とあとは作業員 パートの募集で、面接の時に責任者を希望するのか聞かれたが(おそらく年令的に判断されたのだと思う)みんなと同じ作業員を希望した。休みの日は ホテルで昼間働いて(アルバイト)たまに 工場が土曜日休みになる時があったので その時だけ休みになっていたし、土曜日の夜勤をしたりして 働く事ばかりやっていた。
リサイクル工場は、全員が新規社員なので 若い人から60を過ぎたパートの人男女が20人近く なんか 学校の同級生のような感じで それまで働いた中で一番楽しく 頑張れた。

職場は 家庭で、ゴミの分別をみんなやってると思いますが、その中のリサイクルプラを破砕しペレットというBB弾みたいなものに加工する工場です。なので 機械が傷んだりするのでゴミの中から リサイクルプラでないものを取り出していきます。みんながちゃんと分別をしていれば このような作業はないのですが、金属のほか 赤ちゃんのおむつなど 様々なものが混ざってます。お金も混ざってる事がありました。
1年間だけやった仕事でしたが 全員が新入社員なので楽しくやれました。
ベルトコンベアーで流れてくるリサイクルプラのゴミは においも 半端なく 前に築炉の工事をやってるときに 焼却場で漂ってたあのゴミのにおいで暑い時期になると いっそうにおいがきつくなり 作業服はもちろん 身体中ににおいがついて 車のシートなんかにも においがうつるから 帰りは 男は外で着替えて帰ってました。ほんとは 風呂とかシャワーとかあればよかったのですが その設備はありませんでした。
しかし、僕は選別の作業はあまりしてません。主に機械のメンテナンスで 選別をしている人が休憩の時に交替要員としてやってただけです。

暑い時期はにおいが強く 洗濯機買っていてよかったです。
海水浴にいったときの着替えみたいに車の陰で着替えてました。
女の人は大変だったと思います。
僕は リフトの資格があったし溶接なども出来たので重宝がら みんなもすごく慕ってくれていた。休み前になると月になんどかは お好み焼きを食べに行ったり ほんとに楽しい時間をすごした。若干数名なじめない子も居たが 声を掛けたり気を使って輪の中に入れるように仕向けた。1年が過ぎようとしてるときに 重大な問題が起こった。
本社のほうのミスだった。2年目の入札手続をわすれ仕事が一切ないという状況になっていた。1年間仕事がないという状況だ。
会社は、ひとりひとり面接をして 会社の取った対応策で我慢してくれるか もしくは退職してまた 一年後に来てもらうか等 決めなければならなかった。

やめても 僕はホテルにはもう戻れない。ホテルの社長はどうにか働ける時間を調整して戻れるようにするといってくれたが 自分から言い出して抜けたのに 甘えることはできなかった。リサイクル工場の仲間が近くの自動車の部品を作ってる工場が募集していると言い出したので 集団面接に行くことになった。7人リサイクル工場からその工場に就職することができた。