2018/06/05

1963年生まれ派遣会社にはいり自分の老朽化を自覚する。


意地を張って辞めたから 働くところがなくなってしまいました。週に1回 ホテルのバイトがあるだけで 他の日は 暇です。新しい会社の面接といっても 工場関係はほぼ 派遣社員のみで えり好みしてる場合じゃないと悟り 派遣会社にはいりました。
当時は 派遣会社がブームみたいでした。

その間、面接やら 連絡待ちの日もあって 暇なのでパチンコに明け暮れます。
パチンコで生活できるんじゃないかと 錯覚にも陥りましたが 負け出すと早いです。

そして 派遣会社から紹介された工場は また車の部品を作るゴムの工場です。前の会社のおそらく下請け会社なのかもしれませんが 作業は似たりよったりでした。
派遣社員は なんか肩身が狭く 昼食も社員食堂を使ってもいいとは言われましたが 他の派遣社員はひとりとして 使ってる人も居なかったので 僕もみんなと同じように 車の中とかで食事をしてました。

でも、利点としては 時間にピッタリで休憩時間や終わりの時間には作業途中でもあってもピッタリやめさせられます。残業手当など賃金が発生するからだと思うんですけど ここは徹底していました。
派遣会社にはいると 社会保険もありましたし 時間もピッタリで しかも 賃金は働いた分の半分を毎週 口座に振り込んでくれ 残りは月に一度まとめて支給されるという形だったので便利だったのですが 何ヶ月か働いているうちに とうとう 身体が不調になり 胸が痛くて手があがらない様な状態になりました。
胸が痛くて腕をあげれないようになりました。
このときは ほんとに不安になってました。
原因はわかりませんが こんなことで休んで派遣先の会社に迷惑をかけれません。しばらく我慢して働いていましたけど 自分で限界だと感じ長期休暇を取る事にしました。派遣先は 治ったら復帰してくださいとは言われてましたけど 派遣会社はいらないとなるでしょう。社会保険とかの関係もありますから。

そして 現実的に身体の老朽化を認識しだしました。派遣の仕事をしてる時に10才ほど若い人がいたのですが 一緒に仕事をやってて体力的にかなわないというように 自覚しはじめました。いくら見た目を若くしても老朽化はとまりません。
自分の身体で 一番不便に感じるのは 老眼で もともと1.5とか2.0とか視力検査の結果で子供の時から よくみえる人だったのですが 細かい文字や黒以外の赤い文字や青い文字が見えづらくなりました。くっきり見えないという感じです。このころはまだ なんとなく見えにくいって感じでした。
体力が落ちたのは明らかで 外面的にはこんな状況です。
他人からみると太ってる様には見えないらしいですが終わってます。
次に髪の毛。太くて多かった髪の毛も細くなり 突然ではないですが額もひろく頭頂部の薄毛の進行が早くなります。しかも 白髪が急に多くなります。たぶん 自分は真っ白になるかなくなってしまうか両方要素を持ち合わせてます。他には健康診断で異常値が出るというようなことは全くなかったのですが コレステロールや中性脂肪の異常値が容赦なく出てくるようになりました。幸い再検査の診断は出たことないですが これから先はわかりません。あとは肌やしわ、筋肉の衰え、男の力など一般的に例外なく老朽化の症状があります。それと 忘れる事も多くなります。不思議なことに小中学の頃の同級生の名前は ほぼフルネームで覚えてるの(生きてきたうちほんの数年過ごしただけなのに)に 年令を重ねる毎に 間近に会った人の名前が覚えきれません。ただ、大きな病気もせずに五体満足に産んでくれた両親には感謝しますと思うようになったのもこの頃で、一晩 ぐっすり寝ても HPは全回復しないそんなふうに思うようになりました。

ちょうど その頃 九州の姉から連絡があり 姉の働いてる会社がパソコンを使える人を探しているとか 九州に帰ってくることを言い聞かされます。ホテルの社長もずっときてくれるなら 僕が働けるように他の人を断って使ってくれるとまで言ってくれましたが 断られる人に気の毒いし 九州の生まれ育った土地に帰る決心がつきました。45才になってます。18でこの地を出て27年間 他の土地で過ごしたことになります。

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