2018/04/13

1963年生まれ職種転向と腰痛のはじまり

25歳になって れんが工の養成工になったんですが、会社には他に大工さんの職種があります。大工さんは築炉大工と呼ばれ型枠大工さんのような感じですが、別物らしいです。60を過ぎた長の大工さんと30代後半のふたりの大工さんの3人が それぞれ仕事をもってやっていました。大工さん同士一緒に仕事をするような事は稀だったと思います。
大工さんのひとりが 仕事が大変なときは れんが工の中から人を借りて手伝わせるという方法がとられていました。
呼ばれるのは、若い者で職人さんは滅多に呼ばれないですが 僕も当時は若い者で下っ端ですから 9割以上の確立でさらわれます。

呼ばれる時の大工さんの仕事は、大型のれんがのセット(仮組み)用の 枠なのですが 主に溶鉱炉の炉床なので、図面では球面になっています。
そのため、完全な球面は無理ですけどそれに限りなくちかいものを 木材で作らなければなりません。小さいものだと削ったりとかで出来ますが 何mとかになるので 部品を組み合わせて作ってました。たくさんの木材の加工が必要なので手伝うために連れて行かれるのでした。
親分は自分の本当の師匠となって面倒をみてくれますが
ご覧の通りの人です。仕事は ずば抜けてこなしてました。
覚えてないのですが 最初は自動カンナで杉板の一面をまっすぐにしていくという作業だったと思います。枚数が多いので結構時間がかかりましたが そのあと墨付けをして曲線をバンドソーで切っていくという作業の手伝いをしました。1枚は2m以上の長さがあったと思います。なので取り回しがたいへんでした。
大工さんたちは 床にベニヤ板を敷き詰めて その上に図面の寸法通りに原寸というものを書き込みます。そこから形を取りだして部品の型板などを作ったり 木枠の設計を考えます。原寸といっても簡単に図面から写しとるのは大変です。
球面とかは 必ず曲線を書かないといけませんから、長い半径の描けるコンパスが必要だったり、しかしこれも限界があります。部屋の広さもですが 長くなると重くなってたわんだりするので正確には書けなくなってしまいます。直線も、2mくらいなら長い定規がありましたがそれ以上になると糸を張ってやるか 墨壺を使うとか工夫が必要でした。あと角度もあるので、紙の上に書くのなら 分度器とかありますが 原寸となると狂いが絶対に出来ます。
そこは、三角関数を使ってやってました。サイン、コサイン、タンジェントってやつです。
このあたりが、現場にいる型枠大工さんと違うところです。現場では現場合わせで仕事をこなしているので、経験とか器用で頭のいい人が普通思いつかないような事をして仕事を納めてます。
こんな感じで床に原寸を引いていきます。
色々考えることがあって楽しい仕事でした。

そして、大工さんの仕事の手伝い(手許)に頻繁に行くようになり 毎日グラインダーで真っ黒になりれんがを削っていた日々から、割ときれいな環境で仕事をすることが多くなってきました。いつのまにか、れんが職人の養成工から大工の養成工に職場転向になってしまいます。会社からも大工道具一式支給され、大工の弟子として毎朝 大工さん達の飲むお茶のお湯を沸かすことから 道具の手入れ、作業着の洗濯など 今迄と違う環境になりました。

実は、僕も例外にもれず やはり腰の状態がよくありませんでした。一番ひどかったのはもっと後になりますけど、この頃もすでによくなかったです。中学生の頃のバレーをやってるときも少し悪かったのですが、すぐに治ってる気がしてました。
まわりの人とか聞いた あそこに行けばよくなるとか あそこの病院がいいとかいわれ行けるところは行ってみましたが、整体は帰りは涙目になって帰ってましたし、評判のいいとすすめられた鍼灸院は なんか建物自体怖い感じで 地下室に行かされて治療されました。
「なんども来るより一度だけで治る治療があるけど どちらがいいですか」という質問をされ、一発で治る治療は とても痛いという前置きがありました。
同じところに続けて行ったことはありませんが、針治療は最悪でした。しかも少し寒い時期だったはず。

お金も時間もかかるので 痛いのは我慢して一発で治るというほうを選びましたが 地下に行くと着替えをするように言われ、シャツやパンツを全部着替えます。血がつくかもしれないのでそこが用意したものに着替えるのだという事でした。
まぁ ぼちぼち痛みをこらえて生活をしていきました。

おじいさんの先生ひとりでしたから別にいいんですが、ベッドにうつ伏せになってからは上を脱いで下は下げますと言われましたが腰だけなのにほぼ全裸です。 裸のままで着替える必要ないじゃんって思いました。そのあと、濁ったお湯のはいった風呂に入って帰るように言われましたが、針を刺されたのが痛くて腰の痛みがわからなかったという感じで、治りはしませんでした。

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