2018/04/10

1963年生まれ25歳新しい生活

北九州のほうへ親子3人引っ越します。このときは25歳になる年です。(1988)
嫁の実家近くにアパートをかりましたが 市営住宅の抽選に当たったので、市営住宅に入れるようになりました。
あとは、仕事を順調にすすめれば 問題ないように思ってました。

計画では、嫁の母親の仕事を手伝うという事で 引っ越してきたはずなんですが、どうもその様子がなく やらないと言い出します。これは自分の中では大きな問題ではなかったです。 働かなければいけません。でも 仕事はまだ若いから見つかると思ってたからです。ひと月ほど 職探しをしてました。
そんなとき、嫁の母親の務める会社は 5年間修行をすればそれ以降高給になるから 考えてみないかと 嫁の実家で言われます。5年間は長いけど、子供もまだ小さいし今なら大丈夫と思ったのでしょう。その話に乗りました。

すぐだったと思うのですが、義母の付き添いのもと 面接と職場の見学に行きました。
すぐに働きはじめる事が出来ました(義母のおかげなんでしょう)通常、社会保険もすぐには作ってくれないらしいけど 入社からすぐに準備してもらえました。
仕事は、一般的にあまり馴染みのないものと思われます。たぶん知り合いがやってるとかじゃないかぎりその職になろうと思わないと思います。大工さんとか左官屋さんは馴染みがあるけど、れんが屋さんはちょっとマイナーな職人かもしれません。
建設業許可の業種では「タイルれんがブロック工事業」に分類されると思います。一般的に築炉業とか窯業と呼ばれるかもしれません。

僕は、そのれんが職人の養成工(弟子)としてはいったわけです。25歳になったばかりですからすでに遅めです。ひとつ年上の職人さんがふたり程いましたが 養成期間が終わって職人になったばかりでした。おそらくもっと年上の人達は 中学を出てすぐに弟子入りして職人になった人が多数いました。
れんが職人の仕事は多種あるんですけど、フリーで全国の現場で仕事をしてる人とか、会社に所属して旅をしない職人さんとかやり方も多種あると思います。
旅をしないのは たぶん 自宅から通勤したいとか れんが屋さんは大体 腰が悪い人が多いので無理を避けるためとか理由も様々なのかもしれません。あと 腕のいい職人さんは呼ばれる事も多いでしょうから。

絵は比較的小型の仮組みですが グレーの部分がれんがであり 溶鉱炉の炉床になる部分です。
実際には、粉塵で視界が悪くこんなに人がはっきり見えない環境で作業してます。
おおまかにいうと僕の入った会社は、八幡製鉄所の溶鉱炉で使う耐火れんがを加工し仮組みをするところでした。れんがを作る大手の会社の下請けでもあります。
ある程度形のあるれんがを 持ってきて切ったり 削ったりして図面どおりに加工しセットします。れんがというと たぶん赤れんがを想像すると思いますが、耐火れんがの並れんがは白っぽいそんなに大きくはないですが 会社のものは1m以上あったり まぁひとりでは動かすこともできない大きなれんがです。色は主に黒のイメージです。お墓の墓石を想像してもらえばいいかなと思います。
職人さんが四角から円柱の形をくりぬいて加工してるところ。2枚ひと組で完成。4つ割りとかもある。
丸のこなどで 切れ目をいれておおまかに取り、チスである程度はつったあと 両刃でこまかくはつり
グラインダーで仕上げるという結構時間のかかる作業です。
最初のうちは、仮組み(セット)したものを バラしてパレットに積込 出荷ができる状態にする仕事でしたが これは重量物であるので 体力勝負です。あと指をはさんだりしたらすぐに指がつぶれてなくなるくらい重いので注意も必要です。それと腰が悪くなる事が多いです。
そのうち、加工をやらされますが手作業のディスクグラインダーにダイヤモンドの刃をつけてれんがを削るのですが、粉塵が半端ないので作業服の上にヤッケと呼ばれる上下を着て フードを被り その上にヘルメットや 防塵マスク、保護眼鏡など保護具を装着して一日中やってましたが、ありとあらゆる隙間から粉塵がはいってきて 身体に付着し 帰る頃は元は誰なのかわからないくらい真っ黒になるときもありました。
目はアイラインを引いたようになって ぱっちり目になりますし、耳は気がつかないけど真っ黒に汚れます。
会社には お風呂が完備されていて、ほぼ全員はいって帰ります。というかはいらないと帰れない感じでした。
職人さんと養成工の他に 女の人(おばちゃんしかいないけど)や 臨時の人がいますが50人くらいはいたんじゃないかなと思います。
入社した当時はこんな感じの体型でしたが どんどん細くなった気がします。
なんか毎日 げっそりって感じでした。
ということで、仕事の日は風呂に入って帰りますけど 家に帰ってもなんか 汚れがとれてない感じでした。子供も風呂にいれるのでまた はいります。
あと、僕の憂鬱ということで 通勤は自分の車で行ってましたが、毎日行き帰り共に 義母を助手席に乗せてることでした。会話もそんなにしないし 車の中では気をつかって 音楽やラジオもつけれないし息が詰まりそうでした。
酒を飲んだときは 陽気なおばちゃんなんですが 普段はとっつきにくいおばさんです。冗談も通じない堅物ってそんな人でした。

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