2018/04/17

1963年生まれ30代前の出来事その2

冬の寒い朝、通勤前に暖機運転をしようと マーチにエンジンをかけたところ車に乗らずに、ドアを開けてキーだけまわしたんですが、なんとすごい勢いで走り出して 車に乗り込む事もできず マーチは団地のベランダのくぼみに 激突してしまいました。
ボンネットは、折れ曲がりエンジンももうかからない状態でしたが とりあえず親戚の自動車工場に勤めてる人に連絡してみてもらいます。
その前に、10万Kmも走ってないマーチですが5万kmに満たない前に タイミングベルトも切れた事がありました。
買ってからすぐに へこまされ 嫁がぶつけて修理、タイミングベルトが切れる。等 ほんとツイてない車でしたが、すぐに車検もくる頃だったので5年ほど乗りましたけど さよならすることにしました。
一瞬の出来事でした。車に追いつけず途中もう諦めました。
人を傷つけなくてほんとによかったと思ってました。
スターレット、調べたら4世代目のモデルのようです。
今度の車は トヨタのスターレットでSというグレードです。排気量が1000ccのマーチから1300ccになるわけですが 広さは大差なかったけど  初のオートマチックミッションです。
クラッチがないってこんなに楽なんだって思いました。
なんか 坂を登るときもマーチみたいに必死じゃなくて エアコンも充分効くしかなり気に入った1台でした。当時、なんか洗車ブームみたいになってて みんなよくコイン洗車で洗ってましたけど、休みの日の朝 行っても並んで順番待ちをしないといけないような状態だったです。ほんとはスポーツカーみたいな車とかセダンの大きい車を欲しがる年頃なんですけど、僕はこうゆう車が値段的にもあってるんだなぁって思ってました。
しかし、下取りはあったもののローンです。
嫁の姉からこの時「分相応って言葉知ってる?」とか嫌みを言われましたが 嫁のおとうさんはローンの保証人にも自分がなってあげると応援してくれてました。
義父は、実は昔 町の時計屋さんをやっていて 人口もへりその店を辞めてタクシーの運転手をやってました(1日働きづめて次は休みで昼間は寝てる勤務)が 持病のぜんそくがあって あまり会う機会はなかったけど家にいけば快く迎えてくれる人でした。
子供もかわいがってくれる人です。一方 義母は子供は嫌いな人だったので 嫁の兄弟の子供たちも(孫になるわけですが)じいちゃんは好きだけど ばあちゃんにはなつかないみたいになってました。
僕の娘も家で誕生日のお祝いをするから ばあちゃんに 相当勇気を出して「ばあちゃん、誕生日に家に来てね」と言ったことがありますが、小遣いやるからなんかおかあさんに買ってもらいなさいと帰ってきたことがあります。誕生日会にはこなかったはずです。
そのかわり、必要なものは気前よく出してくれる人でもありました。たとえば いらないというのに久月の7段ひな人形(相当高かったと思います)とかランドセルとか。
娘は、女の子の人形好きではないのでなんかあまり興味を示しませんでしたが 翌年もひな人形出してあげたときには(たぶん4歳)おひな様の頭を取ってなんか違う男の頭とかに付け替えたりしてました。さすがにおかあさんには怒られたみたいですけど。
そして、義父の病状があまりよくないことになってきて 前は自分で車を運転して定期的に病院に行ってたんですけど なんか無理そうなので 僕が仕事を休んで連れていくと言ったんです。今迄なら仕事休んでまでしなくていいと言う人だったんですけど、その日はなんかあっさり 頼むねって言われました。
義母も付き添いで3人で僕のスターレットのうしろに乗せて病院に向かいます。
病院はちょっと遠くて1時間弱かかるところでしたが 行く前から義父がすごく苦しそうだったんです。走り始めて15分もしない頃に うしろの義母が騒ぎ出します。
「おとうさん、おとうさん」と呼びつづけ、声も大きくなって 僕も驚いて車を路肩に止めみると すでに意識がないようでした。自分が車で病院に連れて行くより近くの病院で早く処置してもらったほうがいいと とっさに思い救急車を呼びました。
土地勘があれば 自分の車でそのまま近くの病院に行った方が早かったかもしれません。
救急車はすぐに到着して、病院もわりと近いところに運ばれたのですが、義父はそのまま意識は戻らず病院で亡くなってしまいました。

義姉、義兄など知ってる親族には連絡をし、嫁にも僕の知らない人には連絡を取らせたりしましたが、嫁もおとうさんをなくした娘です。冷静に動けるのは僕と義兄の奥さんだと思い来てもらいました。会ったことはあるんですが挨拶程度しか話したことのない人でした。
娘を連れてのお葬式は3度目になりました。祖父、祖母、義父と。
会社のほうで社員の家族のお葬式に散々手伝いに行かされてましたので
なんか葬式慣れしてる時期でした。
葬儀場だと椅子に座れるし、片付けもほとんどないからいいよねとか
幼いときに父をなくしてたからおとうさんと呼べる人が出来てたのに、またなくしました。結婚の時から応援してくれてた義父でした。亡くなってから葬儀やらバタバタとするんですが義母も見たことないように肩をおとしてます。嫁の兄弟は姉と兄の3人でしたが僕はできるかぎり、義父と家族がお別れを雑用になどにとらわれないように 出来る事は率先してやりました。近所の人の挨拶もまわりましたし 葬儀の準備もすすめていきました。
それまで、話もしたことなかった 義兄の嫁も なんか打ち解けて一緒にやってくれました。これを機会に、義父はいませんが 残された家族が仲良くなった感じです。
ずっと後に 聞いたんですけど、義母がこのときの僕の事をとても感謝してると。
近所の人達にも評判がよかったらしく 好印象の娘婿になりました。
後に、初盆や法事が行われますが 義父の子供や孫達はそれまでは集まっても すぐに帰ってましたけど違うようになりました。

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