2018/05/18

1963年生まれ34才最後の再会

広島に移り住んでから1年過ぎた頃 ちょうど子供の冬休みの時期(1996年)元嫁から連絡があって 娘がパパに会いに行くと言ってるというので 新幹線に乗ってひとりで来てもらいました。小倉駅の乗り場まで母親が送っていって 僕はどの車両に乗ってるのかを聞いて ホームまで迎えに行きました。なので降りるときに間違わなければ大丈夫と安心してました。
久しぶりにあったせいか しばらくパパとは呼んでくれなかった。
娘は小さい頃から 母親にはおかあさんと呼び 僕にはパパと呼んでました。
新幹線から降りて来るまで 相当不安でしたが 問題なく降りてきました。
本人も 乗ってる間緊張してただろうなと推測できます。
当時 僕は娘はまだ4年生か5年生と思っていたけど 6年生になってすぐに中学生になる年頃だったんだと このブログを書いてて計算してみて気付きました。
新幹線が到着すると ホームで待ってると1年ちょっと前会った時より背も高くなって成長しててちょっとびっくりしました。最初 本人も久しぶりだったから 緊張してた様子です。駅を出てふたりで街を歩いてみました。手を繋ぐのに僕は抵抗がありましたけど彼女は平気なようです。ちょうど クリスマスだったので 欲しいものを買ってあげるからと話すと、相当迷ったらしく 選んだのは NINTENDO64でした。プレステじゃなくていいのかと 何度も聞いた覚えがあります。娘は遠慮して本体だけでいいというけど ソフトがないとなにも出来ないから ソフトも一緒に買ってあげました。たぶんマリオカートを選んだんじゃなかったかなと思います。ほんとはそのゲームをしたかったのを あとで話してくれました。
夜になって食事をする事になって 外に食べに行こうと誘ったけど 断られ 家でなんか食べることになったんですが 娘を連れて飲み物や すぐに作れるものを探しに買い物に行き材料がひとまとめになった 鍋セットがあったのでそれにしました。
でも、やっぱりなんか緊張してるみたいな様子です。
お風呂に入ってもらってその間に 小さなテーブルの上にカセットコンロを置いて食事の準備をしました。(元嫁から電話をもらったときに、風呂とか一緒に入ったらダメよと強く釘を刺されてましたけど 自分のほうが恥ずかしくて、ありえないと言った記憶があります)そういえば、小学1年生の頃まではいつも一緒にお風呂はいってたから 元嫁にはそのイメージが強かったのでしょう。あともう第二成長期に入ってるといわれてました。
なんか もっと手の込んだもの作ってあげなよって言われそうですが
普段から家に居ないしカセットコンロをよく持ってたもんだと自分をほめてやりたいです。
そ、ガスを止めたれた時の対策で買っていたのです。
食事をしながら どんな生活をしてるのか学校はどうか等 話してるうちにやっと 緊張もとれたのか 小さい頃の娘にもどった気がしました。翌日から 家にじっとしてるのもなんなので 近畿に住む兄の家に連れていくことにしました。いとこの兄の娘もいるのでちょうどいいかなと。車で行ったので時間は結構かかりましたけど 小さい頃は「だまれっ」って言うくらいしゃべってたのに 成長したなって感じました。
兄の家に行くと ここも久しぶりに会ういとこ同士 年もひとつ違いなので すぐに仲良くなって部屋に閉じこもって遊んでました。兄の子は人見知りするのでどうかなとは最初不安だったんですけど いっぺんに不安もなくなりました。しかし 叔父の僕にはやはりひとみしりでしたけど…。正月の間 兄のところで過ごして家にもどり そろそろ 娘も帰らないといけない日が来ます。
元嫁にも 何日までに帰してと言われてましたし 学校もはじまるので仕方ないです。
また 新幹線のホームまで見送り 指定の新幹線に乗せてついたら絶対電話してといって
別れます。2時間もしないうちに電話があって帰りついたというので安心してましたが 自分の部屋に帰ると、さっきまで ここにすわって居たなとか こんなこと言ってたなとか蘇ってきて 3枚ほどしか写してない写真を見ては さみしさと闘いました。
でも、この時 これが最後の別れになるとは思ってもなかったです。
また 会いに来るねって、電話するねって約束したのに…時はどんどん進みました。

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