2018/05/30

1963年生まれ40代の半分トンネルにはいる。

38才から5年間、夜勤のみの生活になった。
勤務時間は午後7時から翌朝5時半頃までで 休みは一週間に一度。
勤務先までは車で20分もあればつく。アパートから駐車場まですこし離れていたので30分を目途にして活動していた。

仕事は ホテルのフロント係だ。ホテルといってもファッションホテルであり(俗にいうラブホである)なので お客さんと対面することはほぼなく、対面することを避けなければならない。対応するのはほとんどホテル内の電話だけだ。それになによりお客さんのプライバシーを守らないといけない。

実際には、顔は鮮明にわからないけど 防犯のため 駐車場から入室するまでは監視カメラにはお客さんは写っている。部屋の中に入ってしまえばもうなにをしていてもわからないので唯一 内線の電話だけ連絡が取れる。この電話もなるべく フロントからはかけるのは控えなければならない。

利用のパターンは休憩と宿泊とがあって 休憩で利用していたお客さんが宿泊に変更になる事も多々あるのでその時だけはフロントから電話をかける。
その時間が深夜12時前で、掃除のスタッフも12時で終わるため 12時からはフロントの係のみになる。僕の場合 ひとりでも充分こなせていたので 夜中から朝までひとりだった。週末など 忙しい時はアルバイトの人がひとり来ることがあったけど 長続きしないので何人か一緒に仕事をした。
こんな仕事は今迄の仕事とは無縁の内容で 男ばかりの職場から ほぼ女ばかりの職場に変わったし ラブホとか興味半分でしかふれてなかった場所なので 最初の1年間は目新しいものばかりで しかも お客さんは変わるから 色々な人が居るもんだと感じた。
これについて 本がかけそうなくらい お客さんが帰ったあとの部屋に足跡が残されている。
12時をすぎてからは 来るお客さんは宿泊料金になるのだが 高い料金を払ってもすぐに帰っていくお客さんもいるので そのときだけ帰ったあとに部屋の状態を見にいく。火の消し忘れとか 掃除のスタッフが来たときに お風呂の栓を抜いておいてあげると掃除が早く済む。忘れ物とかある場合もある。
深夜の仕事は主にこんな感じだ。突発な事が起こらない限り別段忙しいこともない。

それ以外は フロントのフロアーを掃除したり 駐車場の掃除をしたり 補充品を入れたりでそんなに忙しくはないし 社長からも本を読んだり遊んでてもいいが 寝るのだけはダメだと言われてた。しかし、そう甘くはなく 社長は思った以上に細かく 神経質なのか 朝、交替する時に色々 チェックされチビチビ言われる。なのでそれが嫌だったから 言われないように努めた。しかもフロント内は 監視カメラが設置されていたので 居眠りとかしていたら 録画されている。最初は2つのVHSのテープで自動切り替えにより一週間保存されていたが 途中からハードディスクレコーダーになったので 限りなく録画される。
なので 死角を探して行動するようにもなった。

客室はカメラがないので ゆっくりサボれるがドアの開閉時間が記録されるのでここも つっこまれたときは理由を考えておかなければならなかった。
まぁ 客室でサボるといったら 僕の場合 マッサージチェアーに座ってマッサージをしてたくらいだが 真剣にこれ 家に欲しいと思ってた。でも 考えると大きすぎて家には入らないし価格も簡単に買えるような金額ではない。
唯一サボれる時間。
しかし、客室に設置してあるイスなので最初は躊躇して座れなかった。

なので、夜中に15分程度使ってみたりした。腰が肩 それにふくらはぎが最高に気持ちいい。

朝方になると 少し眠かった気分がうそのようになくなり交代に5時半ごろ 社長がやってくる。そうたいした申し送りはほとんどないがそれがすんだら 最初のうちは風呂がなかったのでホテルのシャワーを浴びて帰っていた。1Kのアパートに越してからはそれはなくなった。
朝 帰るときは車も少なくヘタすると
にも会うことがない。少しおなかがへったら、帰りにコンビニによってなにか買って帰るが そんなにお腹も減らない。部屋に入るときは オートロックなのでアパートの入り口で暗証番号を入力して建物の中にはいっていたけど 何年か経過したごろ 壊れてしまった。不動産やは修理もしない。建物にはいるとエレベータで自分の部屋にはいる。
この間、誰にも会わない。部屋にもどりシャワーを浴びて 以前なら仕事から帰ったら ビールなんか飲んでいたがそれもしなくなった。
すぐに寝れるかといえば、ずっと昼夜逆転の生活を続けていると昼頃まで 眠気がこなくなった。
帰ってくるとシャワー 睡眠 仕事のくり返し。
特にやりたいこともなく人との接触を避けていた。

カーテンは厚目の遮光カーテンをつけていたが隙間から光がはいるので薄明かるい部屋でベッドにはいる。ダイソーで買ってきた目にかけるマスクが大活躍だった。夕方、目が覚めてからちょっとなにか食べて仕事にまたいく。このパターンで毎日を過ごした。
休みの日は 週に一回あったが 朝 帰ってきてその日が休みになるので一晩だけ夜 寝ることができる。でも夜になると眠れない体質になってしまっていた。当初、「プチ世捨て人」な 気持ちでこの生活にはいったが このままでは身体を壊してしまいそうな気がしてきた。

唯一、贅沢をしたとすれば ケーブルテレビに加入していたことだ。インターネットも固定電話もセットになっていた。
テレビ放送は休みの日の夜中によくみていた。そして インターネットで WEBカメラがある事をしり 見知らぬ人とチャットをするようになった。
日本の人だけではなく 海外の人とも。英語が全くわからないが 学校で習った単語だけでもなんとなく会話もできるもんだとわかった。
しかし、ほんとに伝えたいことを言えたわけもなく 隣国のハングルは全然わからないし 台湾ならば 漢字が使えるのでなんとなく取っつきやすかった。台湾の人はフレンドリーで日本語を学んでる学生とかがたくさんいたので 仲良くなれた。
台湾語の勉強も少ししようと 本など買ってみた。筆談ならばなんとか会話はできていたが 話したり聞いたりは早すぎて無理だとわかった。
でも もうこの頃から10年以上経過したけど 当時大学生だった台湾の友人は30代になり今でも FACEBOOKやLINEでやりとりはしている。

ホテルの仕事をはじめて人と話す機会が数時間のみだけだった生活からネットを通じて会話を自宅に居ながらできるようになったことは 寂しさを紛らわせてくれたし、行ったこともない国の生活や習慣を知ることができた。
そして、中学生の時に同じクラスにいた友人にもネットを経て 再開できたことも大きい。学生のほんの数年間接点があっただけなのに 名前もちゃんと覚えてる。不思議なことに働きはじめてあった人で数年同じ職場にいた人の名前なんてそんなに覚えてない。子供のころに覚えて事って人の名前に限らず大事なんだなって思える。

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