そんなこともあって 九州の事務所に色々 マンションの事とかもあったから相談をするためにちょくちょく 電話をしてました。
相手は、社長じゃなくその奥さんです。社長は他の事なら色々 相談に乗ってくれますが「お金」という事になると 奥さんに丸投げしてたから 相談にならなかったのです。
なんかあれば 家族同然なんだからすぐに電話なり連絡するように 言われ九州を出来ましたけど、所詮 他人であるしその言葉を鵜呑みして信じてた僕が甘かったんだと思います。それまでの事が走馬灯のようによぎり 悩みはじめました。
決して 人のせいにするわけじゃないのですが 全てが出会ったために狂った。そう思い始めたのです。もしも あの時…って事がたくさん思い浮かんで 離婚もしなかったかもとか子供と別れる事もなかったとか そんなふうに悩み続けます。
過ぎたことは仕方ないと 自分に言い聞かせました。
ある日、九州に給与の前借りを頼んだことがあって 電話したときは「今からすぐに振り込んであげるね」と言われ 電話を切ってから時間をおいて 昼休みと休憩時間 そして帰りにATMでお金を引き出そうとしましたが 残高不足なので出ません。すぐに送金してくれると言ったので信じてたんですけど なんか手違いでもあったのかと思い 再び電話をしましたが 事務員に不在と言われ 次の日の午前中にも電話しました。そのときも不在。昼休みも不在。なんか不審に思い始めて 同僚の子の携帯を借りて まずは自分の電話でかけて事務員に不在と告げられ もう片方の手で電話をかけると 居ました。
なにかにつけて相談したりしてた自分も悪いのですが
甘えていたんでしょう。
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間違いなく 事務所には奥さんは居て僕からの電話を拒否してる事が確認出来ました。
ならば 最初からすぐに振り込むとか言わなかったらいいのに そう思ったのですが 数回ATMに通った事、電話も数回かけて居留守を使われたこと それだけのことでしたが 時がたつと こんな風になってしまった関係につくづく 嫌気がさしてきました。まぁ結局はお金なんですけどね。
会社のメンツを考えて 出向したり やらなくてもいい作業員の面倒をみたり様々な事が後悔にしかなりませんでした。
もともと 「心配するな 大丈夫。なんとかなるさ」って 困難に遭遇するたびにそれで乗りきってたけど この時の状況や立場全てを失っても 逃れたいと感じるようになり 準備をすすめました。社長の奥さんはもう信用しない。すべてが整って 最後に社長に電話をして辞めると告げる事にしました。
出張に行ったとき どこかの旅館にかかってあったこのフレーズがずっと頭の中にあります。
大丈夫と心配するなは 逆かもしれませんが 一休さんの残した言葉らしいです。
たしかに なんども気を紛らわせて助けてもらったと思います。
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いよいよ社長に電話することになり あっさり解放してやるというような事をいわれましたけど 考えてみれば 九州に戻ってもそれまで監督として九州の社員を使ってたり自分の会社から受けた損失を考えると 使いづらいし不要だったのだと思います。
元請の大阪にある会社から 現役中はよく指名されてましたけど そこの社長が僕が欲しいと人づてに聞きました。でも、そこにいけば安泰ですが 九州の会社と取引もしてたので接点がないように配慮するとまでいってもらえましたが 万が一って事もあるし 配慮してもらっても自分に制限がつくようになるので 断ってもらいました。
これからどうするか? 当時は出会った人すべてをたちきり リセットできるならそうしたい その思いだったです。なので 携帯もdocomoをやめ J-PHONEに換え 平穏に目立たなく生きていこうと思った37才でした。
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