2018/03/20

1963年生まれの高校生になりましたの記憶(その2)

1979年10月、誕生日が来るのをずっと待っててようやく16歳になり すぐにはいけなかったけど原動機付自転車の免許を取得しました。
バイク(原付)は ホンダのノーティダックスというものを手に入れます。
4サイクルの タイヤがでかい クラッチ操作のいるバイクです。
来た当時は、白のボディにステッカーがはってましたが(ノーマルの状態)ホイルは黄色でしたので 塗装してもらい 全体に黄色のバイクにしました。
そして、なにより免許を取ったことで 新聞配達も自転車からバイクで配達できるようになります。
配達できる数が多くなったので、給与アップです。とはいっても9,000円くらいだったのが 12,000円くらい。
1発で合格しないとクラスで笑われ者になりますので、
友達と使い回しの「ズバリ」とかいう問題集で久しぶりに真剣に勉強しました。
バイクに乗れるおかげでかなり行動範囲もひろがりました。

そこで、ラジカセを卒業してステレオを買ってもらいました。
マイクミキシング機能がある事を アピールしつづけ カラオケ(カラオケのブーム)ができると説明し、親に買ってもらいます。一部 バイトの中から出しました。
SONYのエアポートという レコード、カセット、ラジオ一体型のステレオです。毎日、タイマー機能で朝起きて時計もついてるし使わない日はなかったです。聴いてた音楽はほとんど アイドルの曲でしたが。ピンクレディーはもうブームが終わってます。
新聞配達が終わって店でペラペラ喋って帰ると学校に遅刻しそうになります。
ちなみに 部屋は4畳半のこんな感じでした。たたみです。
それから、身長は中学後半180cmから止まってしまってひょろ長かった身体も、体重が増えてきて75kgぐらいになります。身につけてるものや、洋服などにも興味が出だした頃でしたので、まずは下着は白ブリーフ(少年パンツと呼ばれてた)から デカパン(トランクス)に変わります。
なんか トラ柄とかチェック柄とかでしたけど。
ひとつ、学校の夏の体操服になるのがもうかっこ悪くてしかたなかったです。みんなも着てるけど、下はまだ我慢できますが 上が、ゴワゴワの四角い体操服で汗も吸い取らないような 綿のものでした。ありえないデザインです。しかも、乾きが悪くてカビが生えます。
男子ばかりなので悠長に着替えてたらパンツを下げられます。
クレアラシルという薬をCMで よく見てましたの買って塗布してましたが追いつきません。顔が真っ白になるだけです。
学校では3人ほどニキビ面のはげしい者がいて、担任に「ニキビ3兄弟」と名付けられてたほどです。
しかし、このニキビは 当時姉がミキモト化粧品のセールスの仕事をしてたので、母親が買ってた洗顔クリームで こっそり使い続けてると ニキビがなくなってきました。
ニキビ3兄弟の汚名は消えないけど…
減るのが 早いので見つかってしまい怒られるのですが 見つかってからは自分でその洗顔クリームを買ってます。
姉に試供品とかもらいましたけど、値段はチューブ入りで 1本 8,000円か6,000円でした。(たぶん姉の販売割引があって6,000円だったかも)
高いだけあって 効果てきめんでした。
あと コンプレックスのあった 友達はすでにボウボウだったのに皆無だった脇毛が生え始めニキビも半端ないくらいできました。

自分ではよく聞く 思春期の反抗期というものが ほとんどなかったと思うのですが、それは たぶん 自由奔放に親が干渉しない環境だったかもしれません。
よく友達の家に泊まりに行ったり、来たりが多くてもなにもいわれないし 勉強しなさいとか一度も言われたことがありません。ハムスターを買って帰ったときもインコやネコを連れて帰って時も、メインの世話は自分ですけど、一緒に面倒みてくれる母親でした。これが姉だとボコボコにされますけど。
この母親、こっそり鈴虫を飼ってる人でした。

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2 件のコメント:

  1. モンキーとかシャリー DAXもありましたね。

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    1. 友達は、ヤマハのミニトレとかチャッピーとか乗ってました。まだスクーターがみじかじゃなかったです。このあとホンダのタクトとか出てきましたね。

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