2018/03/15

1963年生まれの’70年代後半娯楽の記憶


中学生のころは、朝は早くおきて新聞配達 そして学校へ行き放課後は部活のくり返しでしたけど 無性にみんなが持ってるラジカセが欲しくなります。
親には、自転車買うときにずいぶん出してもらったから 買ってもらえそうにありません。
数ヶ月、新聞配達をがんばれば買えるんですけど 親に立て替えてもらって買いました。

自分の欲しかった機種じゃないんですけど、付き合いをしている電器屋さんが「サンヨー電器のお店」ということだったので この機種になりました。
それでも、カセットテープの両サイドにスピーカーのあるステレオタイプのラジカセは まだあまり出回っていませんでした。
5万円くらいしたと思います。
コカコーラ好きでした。ホームサイズ(500ml)お店に空き瓶を持っていくと10円と引き換えてくれる。
扇風機は こんな感じのものがありましたが、もう壊れる寸前。リボンをなぜか結んでました。

当時はカセットテープも結構 高くてあまり買えなかったのですけど FMラジオ 録りまくりました。FM福岡とNHKFMしかなかったけど 放送の時間にあわせて ナレーションやCMの時は 一時停止をくりかえしといった感じで 音楽を集めてました。
カセットテープは60分、90分、120分が主流でしたけど 120分は伸びやすいと聞いたので 使ったことなかった。
そのあと 46分とか 変則50分や30分、10分とか様々な長さのテープがあったと記憶してます。
自分のライブラリーはのちに 46分ばかりになりました。(LPレコードが丁度録音できてたからかな)
それから テープの種類に ノーマル、クローム、フェリクローム、メタルとありました。
クロームはのちにハイポジと変わっていきましたが、フェリクロームは消えていったような気がします。メタルテープはもっとあとに発売されました。ちなみに 所持してるテープは TDK、マクセル、SONYが多かったけど何しろ 1本当たりの価格が1,000円とかしてたような気がします。

ラジオを録音するとき(エアチェックというらしい)ノイズが多い時には屋根の上にのぼってまでもやってました。
まぁこのラジカセはいつの間にかなくなったんですけど 初めて買ったので 覚えてます。

あとは夏休みとかは、自転車もあったので 隣の隣町まで友達と 町営プールとかによく行ってました。
まぁ プールは前出の バレーの時にできた 日焼けの焼けムラを軽減するためによくいってたんですけど 一向に泳ぐ技術は向上しませんでした。
泳ぎの技術向上しないのは このような事しかやってないからです。
プールとかボーリング場、スケート場や映画館などこの頃はたくさんありましたが、今はほぼ なくなっています。
遊ぶところってそんなになくて 電車でちょっと大きな町に行くくらいそんな生活でした。

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