2018/03/29

1963年生まれの学生最後の春休み


1982年3月1日 無事に高校を卒業して来月から東京で暮らすことになりました。一時は交通事故で3年に進級できないかもしれないという事態になってましたがぎりぎりセーフでした。
そういえば、2年の終わりに体育の補修で学校に来たときに、夜中火事があって体育館が全焼してて、3年生の間の体育の授業は外で、ソフトボールかひたすら走るという授業でした。雨の日は自習とか。

3月31日に東京で入社式があるので、約ひとつき休みになるわけですが、住み慣れた九州からさよならしないといけない事に結構、覚悟がいりました。仲良くしてくれた友達とかも別れなければなりません。
仕方ないことです。母親が最後にスーツと布団を買ってくれたのを覚えています。
でも、いつまでもダラダラしててもダメなので早めに家を出ることにしました。関西にいる兄のところにしばらく滞在して 上京することに決めました。
おそらく3月の中旬だったと思います。

兄のところに行くと、兄は夜、仕事をしていたのでその生活に合わせないといけないのですが 兄にはこの年に 結婚する人と同棲してました。
お姉さんになる人もいたわけです。
兄が仕事に行ってる間、このお姉さんと僕は 兄に連れていかれた焼き鳥の店で毎日働かされる事になります。
兄の働いている店の姉妹店だったんですが、兄は寿司職人で本店で働いてこの焼き鳥屋は、お姉さんと自分とあとおじさん(焼き鳥を焼いてくれる人)だけでした。まさか送り込まれるとは思ってなかったけど、仕方ないです。

仕事は、接客でしたけどこれが酒やビールなど飲まされたり、もう毎日大変でした。カウンターの下にバケツを置いてお客さんの目を盗んで捨てるという方法を思い付きました。
カラオケも8トラテープでした。
すすめられるがままに 吞んでいたらたぶん、仕事できなくなります。

兄いわく、アホか酒を断ってどうするんや。それだけ売り上げにつながるだろと 言われましたから なるほど納得です。
たまたま九州からどこかの工事現場に来てたゴツいお兄さんが、毎日来るようになって、毎日この人の相手で手一杯でした。気に入られたみたいです。
他のお客さんは、ほとんどお姉さんが接客してたはずです。

いよいよ上京する日が近づいてきました。
なんかものすごく、寂しい気持ちになってましたが いかないわけにもいかず、髪にパーマをあて眉とか整えてましたが、形が気に入らずどんどん剃っていくうちに片方の眉半分なくなってしまったのです。これは大失敗でした。もう入社式もすぐだというのに途方にくれてました。
お姉さんの提案で、絆創膏を貼って生えてくるまで隠すしかないという事で決着できました。
カミソリはほんとよく切れます。
これ以降 使ったことがない気がします。

関西を立つ時に、兄が封筒に10万円いれて渡してくれました。焼き鳥屋に送り込まれた分の給与と思えと言われましたが10日ほどしか働いてない。あとでわかりましたが、兄の働いてる店の社長さんが足してくれたみたいです。
新幹線に乗り込むとき、見送りにお姉さんと兄が来てくれましたが、このときは さすがにつらかったです。
スーツもあったはずなんですが、ふとんと送ったかもしれません。
ラジカセはSONYのCFA-7という(ネットで探して書いてみました.)唯一、持っていった家電製品です。
ミュージックカセットテープを何本か買いました。
九州を出るときは 全然平気だったのに…。そして 東京に向かいました。

※ 記憶にあるこの時 買ったミュージックテープ3,000円くらいだったと思いますが 松本伊代と伊藤つかさと畑中葉子だったと思います。あとLPで増田恵子のすずめがはいったやつを焼き鳥屋でよくかかっていたのを 姉が買ったので録音して持っていってます。
ちなみに、ラジカセは新幹線の中で聴いたわけじゃなく ただ持ち歩いてただけだったような…ファッションです。(サンヨーのU4が流行ってましたから)

前のエピソード
次のエピソード

0 件のコメント:

コメントを投稿