2018/03/05

1963年生まれの田舎の子の遊んでた事


小学生の頃住んでた地域は、田舎の山の中でした。まずその地域を横断する谷があって
全体を 太陽地区と呼び、上の谷、下の谷とわかれてました。上の谷には 公民館や遊具などありましたが 下の谷には中学校が横にあったので
学校のグラウンドは使い放題でした。僕は上の谷に住んでました。特に分かれてても問題はなかったけど 一緒に遊ぶということは少なかったです。

それで、どんな遊びをしていたかと思い出してみました。
まず、近所には各学年に1〜2人しかいませんでしたし、居ない学年もありましたので、全員集まったとしても上の谷下の谷合わせても10人にもなりませんでした。

遊ぶ道具も限られていてました。
圧倒的に多かったのは、カンカン蹴り(缶蹴り)です。
男女問わず一緒に遊ぶことが多かったので、これは低学年から6年生まで誰でも参加して遊んでました。
あと、ドッジボールかバレーボール。バレーボールは風船かビーチボールを使ってやってましたが、そのうち本物のバレーボールを誰かが入手してきたのでそれで、ドッジボールをやるようになったと思います。
中学校がすぐ近くにあったので、実はそのボール中学のバレー部の練習でたぶん溝か草藪に紛れ込んでいたものだと思います。

あとはゴム跳びやなわとび。ビー玉 やっこさんなどから 竹をつかって チャンバラなど。
お金がほとんどかからないです。学校から帰ると日が暮れるまで遊んでました。
もう ルールは忘れましたが だいたい 親(今でいうとチームリーダー)を決めて遊ぶことが多いので低学年から6年生まで 一緒に遊ぶことが出来たんだと思います。
下の子は やっぱりみんなで面倒みてましたもんね。
やっこさんという遊び。地面に絵を描いてケンケンパーとか言ってやってたような…


一部の子の親が、呼びに来るという毎日でした。「◯◯〜、ご飯よ〜」みたいな。

祭りの時に、誰かがヒヨコ釣りをしてきて ヒヨコに餌をやるために 餌つくりからのママゴトというのもありました。ウサギも誰かが飼ってたのでその餌も。

少し大きくなるといっても、4年生ごろですが 裏の木の茂みの中に板を釘で打ちつけたり、ドアの廃材をあわせて小屋のようなものを作って秘密基地的な遊びも結構 やってました。
各自、家から 親に見つからないように卵とかイモなど食材を 持ってきて火を起こし調理したりしてましたが、ある日 火がみつかって こっぴどく怒られてから ちょっと下火になりましたが 懲りずにやってました。
廃材のドアー2枚をテントみたいな形に立てかけて作りました。雨漏りなし

地域に「子供会」というものが存在してて、夏休みには海水浴とか クリスマス会とか 子供の日にもなんかやってたなぁ。
これは、大人が一緒にやってくれるので、お菓子とか景品が出ます。
公民館があって、公民館の前にすこし遊べる遊具(シーソーとか滑り台)がある日設置されたこともありましたが、なんか今考えると 人気なしだったよう気がします。
少し 高学年になってくると 自転車を持ってる子か 親の自転車(ほぼ26インチ)で 山の中をうろうろ回ってましたが、今 そのコースを回れといわれても 太ももが痛くなって無理そうです。しかも なんか親の自転車でも 小さい子はすごい特殊乗りをしてました。
器用にバランスをとって自転車をこいで乗ってました。
うちには 母親の今で言う「ママチャリ」があったのと 身長もわりと高かったので 特殊乗りはしなくてすみました。

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